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スタディーセッション『教えて依乗先生!現代の子育て・親育て』後編

今回のスタディーセッションは現代の子育て・親育てについてです。

子育てについてのあれこれ悩み、社会人として他所の子供に対してはどう接していけば良いか?  

今回はいつもお世話になっている、僧侶で心理カウンセラーの山口依乗先生に悩みを聞いていただきました。



「叱る」という行為は一体誰のため??




参加者D:うちは兄弟仲はそれほど悪くはないのですが、兄の方は集中力がなく、何かをやらせたくてもそれに興味を持ってくれないと集中してくれません。

やりたくないことに対して、頑に拒否をするのでこちらとしても強く怒ってしまいます。


ただ、弟に対しては同じようなことをしてもあまり怒らないのですが、それというのは9歳児に言うのと、5歳児に言うのとでは全然違うことだからと考えるのですが…。

ですが、これが兄弟間で「なんで弟は怒られないのに…」というのがあるようで、賢い弟は「お兄ちゃん、毎回あんなに怒られてバカだな」というのが、口にこそ出しませんが、兄に対してなめてかかっているのが分かるんです。

だからか、私がお兄ちゃんに「宿題やりなさい!」と、きつく言うのを見ている弟は、真似をして「お兄ちゃん宿題やったの?」と、上からの物言いをするようになってしまったんです。


編集部:賢い子供って、子供間でイニシアティブを取るのが上手ですからね。お兄ちゃんは弟さんにそんなことを言われて、どう対応しているのですか?


参加者D:聞いていないというか、別に何も思っていないようです。元々空気が読めないというか、言われたことを受け止めきれないようで。


編集部:どうも弟さんの立ち回りが上手なようですね。

参加者D:そうなんです。ものすごく立ち回りがうまくて、ほとんど怒られないように生きている感じです。


依乗:どこの家でも次男というのはそういうところがありますよね。

参加者D:やっぱりお兄ちゃんだけ怒られて傷付いているんじゃないのかと思うと反省しきりで…。どう叱ればいいのでしょうか?


依乗:叱るってどういうことなのでしょう?相手のためですかね?

参加者D:相手のためというよりかは、それを早くやらなければいけないのに、できていないことを伝える為に叱っていると思います。どうしても感情的になってしまって…。


依乗:感情的というのがひとつのキーワードですね。感情的にならざるをえないのはどういうことでしょう。自分に関わってくるから?自分の思う通りにしてくれないから?


参加者D:それが一番あります。

依乗:よく人の為といいますが、人の為と書いて偽という字があります。

親が子供のためとよく言いますが、実は親が解放されたい、楽になりたいと思っていたり。本当に感情を伝えるときは何かを相手からきっちりされたときに、悲しいか嬉しいか辛いか、自分のその気持ちを言うだけでいいんです。


前編でもお話しした“私メッセージ”ですね。


だから、例えば子供がただいま!と学校から帰ってきて、カバンを放り投げて遊びに行こうとします。

その時に、「ちょっと待って!宿題をしてから遊びに行ってくれるとお母さん嬉しいな」とか、「そんなふうに、カバンも片付けないで行ってしまうのはお母さん悲しいな」と伝えてみます。


この中で“片付けなさい”とは一言も言っていません。


どうして片付けないの?とか、どうして宿題しないの?なんてことも言っていませんよね?

何か相手が行動したことに対して、自分がどういう傷付き方をしたか、あるいは傷付くというのは実は嬉しいということも傷付くことなのです。

シナジスティックに神経回路が傷付かないと、人間は神経の伝達能力ができない、そういう悲しい存在ではあるんです。

だけど、そこで自分が相手を思う通りにしたいからといって、こうせよという思う通りにしてほしい行動については言ってはいけません。


大人の社会も一緒です。

例えばAさんとBさんがいて、Bさんが仕事を終えて帰ろうとしています。

Aさんが「あとこれだけ、ちょっとだけ手伝ってもらえたら終わるんだけど」と言いたいときに、「あとこれだけ、ちょっとだけ手伝ってもらえると嬉しいな」と言えばいいのです。

“残業してくれない?”ではなく、“手伝ってもらえると嬉しいな” これらひとつひとつの言葉がけの中に、自分がそのときどういう感情かということを言えばいいだけであって、それを感情的とは言わないのです。

編集部:気持ちを添えるということですか?


依乗:気持ちを添えるのではなくて、気持ちだけ言えばいいのです。

そうすると、言った本人は気が済むのです。相手がそれに沿った行動をするかしないかは相手が考えることだから、いったん自分から感情を手放しているので、それで相手がどう考えて、どう行動するかはその人の問題です。


ですからそこで感情を言うというのは絶対必要なのです。


ところが感情というと、子供の頃に叱られたとか、そういったマイナスなイメージでマイナーな感情が育っているから、大人になるにつれて感情を言ってはいけないと思ってしまうのです。でも、たいがいのことは感情を言うことで解決するんです。


だから本当は、子供さんがこうしてくれたら嬉しいというのがあるでしょう、そしたら「お母さん、そうしてくれたら嬉しいわ!」でいいんですよ。

それからどうするかは、聞いた本人が考える、そして決めればいいのです。そしてそこで、お母さんの気持ちはどんどん落ち着いていくし、手放せばもうそこで終わりです。




教育は誰の義務??




参加者D:勉強を頑張らせないと、本当についていけなくなってしまうと思うと心配で、つい“早く勉強しなさい!”とか“宿題やったの?どうしてやらないの!”ときつく言ってしまうんです。


依乗:それは気持ちは分かりますが、ますます勉強が嫌いになってしまって逆効果ですね。勉強をしたくなる何か良い方法がないですかね。

編集部:「楽しい」という感覚がないと子供は興味を持たないのではないでしょうか?


子供は大人の何倍も感受性が強いので、子供の頃に覚えたことや感じたことって大人になっていい思い出にもなれば、悪くするとトラウマとして残るくらい嫌な思い出にもなってしまうと思うんです。

ですから、集中させたい、何かをさせたいとするなら飴と鞭ではありませんが、これ(勉強)が楽しいことなんだという感覚を持たせないかぎり、ずっと勉強=嫌なこととしてインプットされたままだと思います。

参加者D:宿題を楽しくやらせるとなると…。


編集部:難しいですよね。宿題って聞いただけで、大人の私でさえ嫌な気分になります。(笑)

すでに宿題というものが、いつの間にか面白くないものという刷り込みがされていて、一度刷り込まれたものを払拭することのほうが難しくて。これを払拭できるアイディアがあればベストですよね。

依乗:わりと子供は単純なところがあるので、この問題がここまで出来たら何かご褒美があると分かれば、それが楽しみでやるかもしれませんね。


それが将来的な遠い話しや、これをやらないと偉い人になれないとかそういうことではなく、今なんですよね。今日これをやると今日楽しいことがあるというように。


私たち大人の時間感覚と子供たちの時間感覚は違っていて、子供の時間感覚ってすごく長いです。子供の時って一年、一日が長かったですよね。

そういう意味では、大人の感覚で“急いで急いで!”ではなくてもいいわけです。

子供の時間の長さの中で、動ける範囲のご褒美があるといいですね。


参加者A:先程、先生がおっしゃられていたように、子供は仏さまからの預かりものだと考えたときに、親として勉強をさせることってどういうことなのでしょうか? 親の義務なのか、子供の成長への期待なのか、どういう感覚なのでしょう。

依乗:義務教育というのは、子供が義務なのではなく、親が義務を負っているのです。


参加者C:自分が仕事をしていると、帰ってきて宿題をやらせる時間ってやっぱり限られているし、寝る時間を9時と決めていると、この時間にやらないともう寝る時間になっちゃうよとなるので、どうしても急かしてしまうんです。

依乗:学童保育とかありますか?おにいさんやおねえさんに勉強を教えてもらえる場所が鎌倉にはたくさんありますが。


参加者C:学童には通っています。学童では、学校で出た宿題や夏休みなら勉強する時間というのが毎日あって、その時間で宿題や勉強は一通りやっていきます。

分からないところは、学童の先生や上の学年のおにいさん、おねえさんが教えてくれているみたいです。

一学期にあいうえおを覚えて、宿題もそれらの書き取りプリントが主ですが、最終的には親がチェックして丸付けをして。後半になると音読の宿題も出て、これは学童では出来ないので親が聞いてチェック。その他、夏休みの宿題となると自由研究などつきっきりのことが多く、結局は親の負担がかなり大きいんですよね。


編集部:夏休みの宿題で思いだしましたが、先日ニュースで学校の宿題の代行業というものがあって、そこに親が子供の宿題を頼んでいるという話題が取り上げられていました。

頼んだ親の言い分というのが、我が子が宿題が多くて遊べなくて可哀想だからという、およそ信じられない理由で驚きました。

しかもフリマサイトに夏休みの読書感想文が売られているということも最近問題になりましたよね?

子供本人の意思とは関係なく、学校でやらなくてはいけないことを大人の力とお金の力で解決してしまえば、将来この子供たちはどうなってしまうのだろうと考えてしまいました。


依乗:ある意味で、小学校というのは自分がこれを取り入れる、取り入れないとを選べる人間に育つだけでいいのではと思います。

なので、親がお金で解決してしまうというのは一番最悪なパターンです。


参加者A:親御さんというのは、自分が子供に勉強をさせなければいけないみたいな義務をおっているとき、“あぁ、私は義務を果たした”と納得するのはいつなのでしょう? 成績表をみたときでしょうか?

参加者C:一応、数値化してくれるものが成績表なので、とりあえずその数字が平均であれば良かったと思いますね。


編集部:安心できるということでしょうか。でも、それが平均点であっても、子供はどこか褒めてほしいですよね。私は子供の頃、親が褒めてくれたり喜んでくれることが嬉しくて、嫌いな勉強を頑張ったので個人的な意見ですが、子供にとってはおやつより何より、お母さんが褒めてくれることが一番の励みになるのではないでしょうか。


依乗:人に注意をするときは、そばでこそこそと、褒める時は遠くから盛大に大きな声でみんなに聞こえるようにと、よく言いますよね。それが案外逆になっているときが多いのです。

編集部:怒られる時って、自分だけが聞いていればいいのですが、そこに第三者がいるとそれは一種の公開処刑ですよね。尊厳を傷つけられてしまうし。

子供なら兄弟のいる前で怒られれば、自分は恥をかくし、聞いていた他の兄弟は賢い子だとそれを逆手に取る子もいます。


依乗:そうですね。注意するときは他の子に聞こえないようにしないといけませんね。叱るにせよ褒めるにせよ、どっちにしてもドーパミンが噴出して自分に快を与えたいんですから、叱るときはそれをわきまえておくべきです。

それさえ自分で分かっていれば、ちょっと立ち止まって深呼吸できるはずです。

怒っている時って、呼吸が浅くなっているので一呼吸ついてみるのが大切です。




子供がいる人といない人とでは分かり合えない??



参加者D:子供のいない友人が、長男の出産のときにお祝いに来てくれたのですが、友人に自分の飼っている犬のほうが赤ちゃんより知能が上だと言われ、何故こんなことを言うのかとムッとしてしまったことがあります。

子供がいない人には、子供の話しはしないほうが良いのでしょうか?

編集部:これって、自分に子供がいないことの羨ましさからくる嫉妬ですよね?

この反対のようなお話しになりますが、私の学生時代の友人で卒業後すぐに結婚、出産したのですが、何年か経って急に電話がかかってきて何の前置きもなくヒステリックに「アンタなんか結婚も出来ないし、子供も産めないんだから!!」と喚かれたことがあります。

正直何故こんなひどいことを言われるのか、心当たりもなくショックでした。

後日、冷静になった彼女から謝罪の電話があり、家庭生活がうまくいっていなくて、子育てなどのストレスから私に八つ当たりしたそうです。

彼女に映る私は独身で自由で何の悩みもなく生きているように見えたようです。

ですが、私からみれば彼女のほうが旦那様と子供がいて、幸せそうでいいなと感じていたのに、隣の芝生は青く見えるとは良く言ったものですね。笑


依乗:人間の存在の負の部分、負を含めてそれが存在なのでそういうときもあるさって思えたらいいですね。その人の人格がずっとそういうわけではないので。

人間は多面体ですからね。何百もある面のたった一面を見ているだけで、今見ているものが全てではないと考えれば、おのずとこちらの感じ方も変わります。全体を見てあげるという考え方が大切です。

参加者A:賛成です。私も子供はいませんが子供の話しをしないほうがいいかと言ったら、多分したほうがいいと思います。


私は猫を飼っているのですが、もし自分の猫を亡くしたらと考えると、子供を亡くした人の悲しさや辛さを想像はできても、さすがに子供を育てる大変さは分からないじゃないですか。ですが、考え方は合わなかったとしても、その時はまた違う一面の話しをふってお互いに話しをするほうがいい気がします。


依乗:問題が起こったときに、今この面しか見えていないけれど、見方を変えれば“ああ、なんだこんなことだったのか”と、思えることがあります。

ひとつの面ではなく、色々な面があることさえ分かっていればヒステリックに対処するということはなくなると思います。


参加者B:自分がいっぱいいっぱいのときって、どうしても意識できなくなります。

編集部:結局、余裕があるかどうかですよね? 特に子育てでいっぱいいっぱいになっているお母さんは余裕がなくなりますよね。

依乗:そうですね。今日お子さんがいらっしゃる参加者お二人は、専業主婦ではなくお仕事を持っているので、やはり子育てに専念しているお母さんとはちょっと違ってきますよね。


参加者C:第一子目のときは本当に余裕がありませんでした。私の母はちょうど初めての出産の前に亡くなってしまったので、一番相談したい頼りたい人がいなくなってしまいどうしていいのか途方に暮れたこともあります。それこそ一日の中でホッとできる瞬間もありませんでしたが、2人目3人目と子供が増えて余裕が出て来たのは確かです。それというのも対処法が分かってくるにつれ、色々な角度から物事を見られる余裕が出てきたんだと思います。


依乗:そうですね。お兄ちゃんが7歳になれば、お母さんも7年生になるのだからそういうことですね。Cさんは第一子出産の一番不安なときにお母様を亡くして苦労されていますが、誰かを頼るということは大切なことです。


ベテランの何人もお子さんを育てているようなお母さんが周りにいたり、地域のコミュニティがしっかりしたほうがこれからの時代、働くお母さんたちが自分の仕事をしながら子育てをしていくには必要不可欠です。


やはり一人で育てるという意識ではなく、“誰かに頼れる”という場を率先して設ければ、社会全体の現代の子育ての考え方が変わってくるのではと思います。


編集部:私は子供はいませんが、公共の場でマナーの悪い子供を見かけた時に、社会人として大人として注意すべきかどうか迷います。

以前、注意した子供の親御さんから「うちの子に何なの!!」と逆上されたこともあり、正直見て見ぬ振りのほうがいいのかなと思ってしまう自分がいて…。


依乗:私くらいの年齢になると自然に言えるんですよね。

“あっ!おばあちゃんに叱られちゃった”くらいに受け取ってくれるので。しかも袈裟を着ているときは効果抜群です。笑

参加者A:確かに、相手に聞いてもらうために自分のキャラをどこに持っていくかというのは重要ですね。


参加者B:私の世代(30代)だと、私より歳上と見受けられるお母さんに注意しようものなら逆に言われそうで怖いです。


参加者A:それはやはり自分より年下で、子育てもしていないだろうと思われる女性に偉そうに言われたと感じれば言われた側はカチンときますよね。

それこそ、どのキャラクターを演じて注意するかが重要なのではないでしょうか。


依乗:注意する対象の子供が通っている先生を想像して、その先生のキャラになりきって言ってみれば、案外素直に聞いてくれるかもしれませんね。


参加者A:それいいですね!先生ぶるの!笑


編集部:子供がいる人もいない人もですが、子育てにおいて(ついて)関心を持つということが一番大事なことではないのかなと思います。無関心になってしまうのは一番寂しいですよね。


依乗:マザーテレサさんの言葉ですが、“愛の反対の言葉は無関心”です。

傷付く覚悟でやるというのが、格好良すぎるかもしれませんが大事なことです。

お母さんと呼ばれるのは子供がいなければ呼ばれないわけで、子供がいるからこそお母さんと呼ばれるのですから。


参加者A:子供がいなければ持てないタイトルですよね。


依乗:子供は可能性の塊です。それを潰してしまわないように周りの大人が守ってあげることがなによりも大切なことです。



編集部:本日は貴重なお話しをありがとうございました。

子供を守ってあげるのは大人の役目ですが、“お母さん“の余裕を守ってあげるのも周りの大人の協力があってこそ。お母さんの余裕があって初めて、良い子育て・親育てになるのではと今回のスタディーセッションの中で感じました。


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